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不定愁訴専門医:飯島 慶郎について

総合診療医 × 心療内科医 × 臨床心理士 × 漢方医 = 不定愁訴専門医

飯島 慶郎(いいじま よしろう)

島根県出雲市大社町出身 昭和52年生まれ

医者をめざしたきっかけ

わたしは幼少時、体が強いほうではありませんでした。特に幼稚園などは数日出席しては風邪をもらって1週間休むということを繰り返すようなひ弱な子で、毎週のように近所の医院に通っておりました。院長先生はがっしりとした体格の先生で、とても頼もしく、格好良く見えたのを覚えています。

多くの患者が入れ替わり立ち代り待合室から診察室に入っていくのをみて、医者というのは「座っているだけで、多くの人に頼りにされる不思議な仕事」だと感じ、子供ながら感心したものでした。この医院は小児科を専門とされていましたが、昔のことですから内科や整形外科などにも対応しており、いわゆる古きよき何でも診る町医者でもありました。わたしは、こういった何でも屋としての町医者の姿にあこがれ、3歳の時には「大きくなったらお医者さんになる!」と周囲に宣言していたのを覚えています。

また、母は薬局を経営しており、そのこともわたしに強く影響を与えました。薬局の店舗の後ろに控え、お客の症状を問診し、適切な薬を選び出す母をみて、「知識を使って人助けをすること」に対する関心が自然に培われていきました。

医大生になり、医学の現状を知る

こうした背景から、ほとんど迷いなく島根医科大学に入学して熱心に勉強を始めたわけですが、ひとつ残念なことがありました。それは、医学があまりに細分化されてしまっていたということでした。

今や「内科」ですら臓器別に細分化されて10近くの専門分野に分かれてしまっています。わたしにとって、あこがれの「町医者」は「なんでも診てくれる」存在でしたから、当時から臓器別の専門医にはほとんど興味がありませんでした。

しかし、わたしが大学生だった当時は今でいう「総合診療医」になるためのカリキュラムは皆無に等しく、消去法的に何らかの臓器別の専門医をめざした研修を受ける必要がありました。

しかし、臓器別専門医の研修カリキュラムに入ることは、わたしが将来なりたい医師像にとっては遠回りにしかならないと思われ、自分にとって必要十分な研修を積むためにはどうしたらいいのかを悩んでおりました。

心理学を学び、成りたい医師像が明確になった。

そうした中、たくさんの勉強をこなしながら自身のアイデンティティーを模索し、多くの葛藤を抱えて心を病んでしまったことがありました。大変な時期でしたが、「せっかく心理的にまいってしまったのだから、これを題材に心理学も勉強してしまおう。

きっと将来の役にも立つはず」と考え、心理学関係の本をむさぼるように読みました。同時に、当時大学の保健管理センターにて提供されていた臨床心理士さんによる心理カウンセリングにも通うことで、自分の中の心理的な葛藤をなんとか解決することができました。

その過程で「人の心を癒す」ということは、どういうことなのかを垣間見ることができたように思え、「自分もいつか医師としての立場だけではなく、心理療法家の立場からも困っている人の援助をしたい」と感じるようになりました。

大学を卒業後は、研修先として「神経内科」を選び、初期研修を始めました。神経内科領域の疾患には、高度な医療機器を駆使しなくても、腕さえ磨けば診察でほとんど診断をつけることができるという特徴があります。このスキルが「町医者」にとって非常に役に立ちそうだと直感したからでした。

三重大学の家庭医養成の研修に参加して

2年間の初期研修期間もほぼ終わりかけていたころ、三重大学医学部付属病院の「総合診療科」の開設を知りました。ここでは当時としては非常に珍しい「総合診療医・家庭医(≒理想的な町医者)」の養成を掲げ、外来中心の研修を提供しており、これこそわたしが求めていた研修先でした。

わたしは早速、三重大学に出向き、総合診療医になるための研修を始めました。病院を次々と変わりながら小児科、産婦人科、整形外科、皮膚科、救急科、外科、放射線科、耳鼻科、各領域の内科など、町医者に必要なことを次々と学んでいきました。気がつけば、初期の2年と合わせ、計7年間も研修医生活を続けておりました。

そういった中で特に印象深く、わたしの人生を大きく変えたのは大学病院の総合診療科での研修でありました。大学病院の総合診療科という場所は、実に様々な疾患を持った人が受診してくる場所ですが、数として圧倒的に多いのは心療内科的疾患の患者さんたちです。こういった方々は、どこの病院を受診しても「原因不明」とか「病気ではない」などというふうに言われてしまっています。かといって精神科を受診しても、「体の症状があるなら、他を受診してください」という対応を受けてしまい、ドクターショッピングを繰り返したのち、すがるような気持ちで大学の総合診療科を受診されるわけです。

わたしは学生時代にあこがれた心理療法家としての自分を思い出し、こうした方々の心の辛さに寄添い、普通の医師が対応できない心と体の相互作用からくる症状(≒不定愁訴)を治療することに大変なやりがいを感じたのでした。

研修医生活を終えてからは、故郷島根県に戻り、浜田市の公営の診療所に赴任し、念願の「町医者」としての夢を実現しました。町医者として多くの方々の健康管理に努めるとともに、もう一つの夢であった心理療法家としてのキャリア形成も開始し、日常診療の中に心理療法を併用していきました。さらに以前から興味のあった東洋医学も学びなおし、漢方薬を積極的に用いることで、より多くの病態に対応できるようになっていきました。

現在の診療について

現在は、島根県浜田市の「国民健康保険大麻(たいま)診療所」の所長、および、島根県出雲市の「統合医療 出雲いいじまクリニック」の院長を務めています。総合診療学、心療内科学、臨床心理学、東洋医学を同時的・統合的に用いる、オリジナルの診療スタイルを構築し、様々な患者さんに寄り添えるような唯一無二の診療を実践しています。

また、そうした複数分野の知見を同時統合的に目の前の患者さんに適応することにより、大多数の医師が対応を苦手とする「不定愁訴」の患者さんを効果的に治癒に導けることを発見し、現在では「不定愁訴専門医」として活躍しています。
思えば、わたしが積んできた特殊なキャリアの最終ゴールこそが、この専門性だったのではないかと思います。

大麻診療所では町医者として地域医療の一翼を担うとともに、小児からお年寄りまでの各種不定愁訴診療を展開し、起立性調節障害、更年期障害、身体表現性障害、仮面うつ病、全般性不安障害、線維筋痛症、慢性疲労症候群、難治性頭痛・腹痛、小児心身症、チック症、不登校の援助といった一般医療機関で原因不明・対応不可能とされてしまうような病態に効果的に対応しています。

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